岡本 哲雄/著 -- 春秋社 -- 2022.2 -- 146.811

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一般 一般資料室 146.8/2022/ 00014611560 和書 帯出可 在庫 iLisvirtual

資料詳細

タイトル フランクルの臨床哲学 ,
書名ヨミ フランクル ノ リンショウ テツガク
並列タイトル Die klinische Philosophie von V.E.Frankl:Bildungstheorie in der Sicht Homo patiens
副書名 ホモ・パティエンスの人間形成論
叢書名 関西学院大学研究叢書
著者 岡本 哲雄 /著  
著者名ヨミ オカモト,テツオ
出版者 春秋社
出版年 2022.2
ページ数, 大きさ 11,501,13p, 22cm
NDC10版 146.811
一般件名 ロゴセラピー , 教育哲学
ISBN 978-4-393-36567-0 国立国会図書館 カーリル GoogleBooks WebcatPlus
著者紹介 1962年生、京都大学大学院教育学研究科博士後期課程満期退学。博士(教育学)。関西学院大学教育学部・大学院教育学研究科教授。
内容紹介 <アウシュヴィッツ>を生き延びたフランクルの哲学が歴史に応答したこととは何か? ホモ・パティエンス(受苦する人)という人間理解から、人間形成の視点の転回を促しうることを論証し、教育の倫理を語り直す。

目次

序章 ホモ・パティエンスの人間形成論と《教育の倫理》
  一 フランクルの遺産と二十一世紀のニヒリズム
  二 本書の問題意識と目的
  三 各部、各章の構成とその内容の概略
  四 本書で使用する用語について
第Ⅰ部 <意味>と《存在の謎》-フランクル臨床哲学からみた人間生成
第一章 「ロゴテラピー=実存分析」-その臨床知がもつ歴史的含意
  一 <意味>を機軸にした援助のための実践哲学として
  二 心理療法の歴史的意味とフランクル臨床哲学
第二章 「もとにある」-《倫理》の存在論
  一 フランクル臨床哲学の誕生とその背景にある時代分析
  二 人間存在の解明-「もとにある」ということ
第三章 人間生成と《存在の謎》-日常のメタフィジーク
  一 自己超越の結果としての<意味>摂取
  二 <意味>と時間
  三 人間生成という現実-「超世界」と「世界」が浸透し合う場所
  Intermezzo 1 パトスの原風景Ⅰ-「過去のオプティミズム」をめぐって
第Ⅱ部 フランクルの臨床知と教育の出会い-《教育の倫理》への模索
第一章 フランクルの教育論が意味すること
  一 フランクル教育論の射程
  二 教育の実存分析-大人の責任性と子どもの<意味>実現
  三 教育的自覚の深まり-結びにかえて
第二章 教育人間学において-対話は成し遂げられたのか?
  一 教育人間学と実存分析
  二 実存分析による教育の人間学的「基礎づけ」という発想
  三 実存分析との出会いは、子ども理解に何をもたらしたか?
  四 生きられる「教育」-「呼びかけ」と「応答」の相のもとで
  五 ホモ・パティエンスの位相から人間形成と教育を語り直すという未達成の課題
第Ⅲ部 ホモ・パティエンスが拓く地平-《意味/受苦》の相即性
第一章 「聴くこと」と創造性-はじめに受動ありき
  一 起点としての「聴くこと」
  二 創造性が育つということ-クロノロジカルな「発達」論を超える視点
第二章 <意味による生成>への奉仕-ホモ・パティエンスの視点からの語り直し
  一 問題の所在-これまでの考察を踏まえて
  二 <意味による生成>の場の働き-「実存分析」によって解明されること
  三 <意味による生成>の場をひらく心術-「ロゴテラピー」の本質
  四 《存在の謎》と<意味による生成>への奉仕-子どもと共に生きる大人の在り方
  Bridging:思想解釈から対話的展開へ
  Intermezzo 2 寄る辺なき時代の私たちへ-人を育てる人を育てるために
第Ⅳ部 ニヒリズムと教育-《教育の倫理》の在り処へ
第一章 教育の意味、そのゆくえ-教育の「見立て」についての思想史的素描の試み
  一 「見立て」という方法
  二 「人間と教育」の意味争奪戦-構成される教育思想
  三 教育を何かに見立てるということ
  四 「見立て」のスケッチ<一>-近代教育の両極性と二律背反
  五 「見立て」のスケッチ<二>-二〇世紀半ば以降の挑戦と展開
  六 再び《倫理》へ
第二章 ニヒリズムと教育の相入反転-意味の声は聞こえるか?
  一 ウロボロス的相入反転
  二 ニヒリズムと言葉
  三 教育を物語ること、教育を物語らせるもの
  四 <誰>の問いが招来する意味の声
  五 《教育の倫理》は語り直せるか-ランゲフェルトに寄せて
  六 ニヒリズムを生き抜く《教育の倫理》の在り処とは?
  Intermezzo 3 パトスの原風景Ⅱ-「自殺」予防、「安楽死」阻止にみる意味信仰
第Ⅴ部 《存在の謎》から人間形成を語り直す地平を求めて
第一章 《存在の謎》とニヒリズム
  一 《存在の謎》への応答をめぐる精神史
  二 《存在の謎》の隠蔽がもたらす野蛮さと陳腐さ-「実存的空虚」の受け取り直し
第二章 《存在の謎》の物語りとしての日常性
  一 物語が生まれる「ゼロ地点」-「生きる意味についての問いのコペルニクス的転回」の相乗作用
  二 《存在の謎》の受け取り直しとしての日常性-<意味>の身体性へ
第三章 人間形成の汲み尽くせぬ意味、消去しえぬ声
  一 《謎》とは何か
  二 《謎》と人間形成(Bildung)
終章 ホモ・パティエンスの人間形成論の意義-フランクルの臨床哲学が歴史に応答したこと
  一 本論を振り返って
  二 ホモ・パティエンスの人間形成論と教育学のパトス論的転回-<意味>と<受苦>を相即的なものとして捉えることの意義
  三 ホモ・レリギオーススを育てるということ-「神の死」の時代に「《意味/受苦》の牧草地」を耕すこと
  四 ホモ・エドゥカンドゥスのパトス論的転回-《教育の倫理》の意義
  エピローグ